
なぜいま、わたしたちは御朱印を集めるのか?
昨今の御朱印帳ブームは、いまの日本社会の不安定さを物語っているのか、はたまたファミリーコンピューターに熱をあげた世代のゲームコンプリート的感覚なのか?
ここでは、マーケティング調査を入れ込んでいるわけではないので、あくまで個人的な視点からの感想となりますが、いま、わたしたちは「心の平安」を求めているのではないかと思うのです。
自然災害が増えて、政治や経済が不安定ななか、個人的レベルでできることは、ただ「祈る」ことでしかないのかもしれない。
神社に行けば、神聖な気持ちになり、そして神々に「平和」と「平穏」を祈る。
これはブームというより、古来から行われていた儀式みたいなもので、わたしたち一人ひとりが、「今のままじゃ危ない」というような、少し緊迫した感覚に陥っているともいえるのでしょうか。
神社参拝のひとつに「御朱印集め」というのがあって、それはお金をあまりかけずに、日本各地のいろいろなところに行って、そして心が満たされる感覚が得られるというW効果から、「モノ」の時代から「ココロ」の時代となりつつあるいま、妙にマッチしたのかもしれないなという気がしています。
まあ、どういった理由にせよ、人気の神社に行くと「御朱印」と書かれた場所には、色とりどりの御朱印帳を持った人々が列をなしているのを見かけることが多くなりました。
そもそも御朱印って?
神職者の手により、達筆な筆さばきで仕上げられる御朱印
「御朱印」は、朱印の敬称呼びで、主として日本の神社・寺院などで参拝者向けに押印される印章、及びその印影。複数の朱印の印影を集めることを「集印」と呼び、朱印を押印し集印するための専用の帳面を「朱印帳」とか「御朱印帳」と呼んでいます。室町時代末期から江戸時代初期ころには存在していて、屏風折りの固い表紙のついた和綴じのものが多く、現在はオリジナルの朱印帳をデザインしている神社仏閣も多くみられます。単純に「手帳にハンコを集める」というと、スタンプラリーのようなものをイメージされがちですが、朱印は宗教的行為として考えられていて、神に仕える神職者の手によって押印されることに意味があるとされています。朱印の初穂料は、お気持ち〜1000円と各所によってまちまちですが、多くは300〜500円というところでしょうか。
達筆な人の書く朱印には力が宿る
ちなみに、わたしは神社に参拝すると、なにかの形でお納めをしようと考えていて、今までは「御神札」を求めていました。
しかし、あまりに頻繁に行くので、神棚がお札だらけになってしまうという事態に陥り、その代わりに「朱印」にしようと思ったのがきっかけです。
すべての神社参拝でもらうわけではなく、御神札をいただくときもありますし、なにもせずに参拝だけというときもよくあります。
朱印は書く人の技術もあって、凄まじく達筆な人が書いた朱印にはなにかただならぬ力が宿っているような、そんな気さえするのが不思議です。
このサイトでは、わたしの集めた朱印のなかから、地域別に選定しておすすめをUPしてみます。
世の中にはもっともっと素晴らしい朱印があると思います。
「ここの朱印はすごいよ」など、皆様からのコメントもお待ちしています。
御朱印ブームの理由とは?